2025年4月、『赤毛のアン』の翻訳家として知られる松本侑子氏がNHKの新アニメ「アン・シャーリー」に対して「校閲希望」を公開発信し、ネット上で大きな話題となりました。

原作への忠実さを求める声と創作の自由を擁護する意見に分かれるなか、この事件は単なるアニメ批判を超え、原作リスペクトと表現の自由に関する重要な議論を巻き起こしています。
本記事では、事件の発端から最新状況まで、その全容を徹底解説します。
「アン・シャーリー校閲希望事件」とは何か
事件の発端と経緯
2025年4月5日、NHK Eテレで新アニメ「アン・シャーリー」の放送が開始されました。
このアニメは、L・M・モンゴメリの名作『赤毛のアン』を原作としたもので、アンサー・スタジオ制作による新たな解釈での作品でした。

放送開始と同日、『赤毛のアン』の翻訳家として知られる松本侑子氏がSNS上で「『アン・シャーリー』校閲を希望」と題した一連の投稿を始め、アニメにおける原作との相違点を詳細に指摘しました。

この投稿は瞬く間に拡散され、アニメファンや原作ファンの間で大きな反響を呼びました。
特に原作を愛する読者からは松本氏の指摘に賛同する声が多く上がる一方、アニメの新しい解釈を支持する意見も見られ、インターネット上では議論が白熱しました。
松本侑子氏の3つの主要指摘
松本侑子氏による校閲希望は主に3点に集約されています。
アンのカバン:アニメでは「革の四角いトランク」として描かれていますが、原作では「a shabby, old-fashioned carpet-bag(みすぼらしくて古風な絨毯地の旅行カバン)」と明確に記述されています。
松本氏は「絨毯地のカバンは、軽くて安価で丈夫、色柄が豊富なため、19世紀に女性の旅行カバンとして流行しました」と実際のカバンの画像とともに解説しました。
アンの服の色:アニメではアンがピンク色の服を着ていますが、原作では「赤い髪をした者はたとえ想像でもピンクのものは着られないのよ(Redheaded people can't wear pink, not even in imagination)」と明確に記されています。
ダイアナの目の色:アニメではダイアナの目が青色で描かれていますが、原文では「She has black eyes and hair and rosy cheeks.(黒い目と髪で、ばら色のほっぺだよ)」とあり、松本氏は「『赤毛のアン』を読むと、ダイアナは北アイルランド系。『ブラック・アイリッシュ』で黒髪に黒い瞳です」と指摘しています。
ネット上での反応と拡散
この指摘に対するSNS上の反応は様々でした。
「製作陣は誰1人原作読み込んでなかったってこと?」
「こんな風になるなら高畑勲版が傑作なので、再放送で良いよいですね」
「せめてカナダのモンゴメリドラマ見て衣装を研究して欲しい」
「ダイアナの髪もわざわざ緑にする必要あるか?」
「プリキュアじゃねーんだぞ」
など批判的なコメントが多く見られました。
その一方で、「時代に合わせた解釈もありでは」「新しい世代向けのアレンジなのでは」という擁護の声も少なからず存在し、アニメ「アン・シャーリー」をめぐって議論が二分される結果となりました。
この議論は「アニメがっかりちゃんねる」などのYouTubeチャンネルでも取り上げられ、「アン・シャーリー校閲希望事件」として2025年4月第1週の「プチ炎上事件」のひとつに数えられるほどの話題となりました。
原作『赤毛のアン』とアニメ「アン・シャーリー」の相違点
カバンの違いが意味するもの
松本侑子氏が最初に指摘したアンのカバンの違いは、単なる小道具の問題ではありません。
原作における「絨毯地のカバン」は、当時の社会的背景を反映しており、「高価で重く小さな孤児には持てない」革のトランクではなく、「軽くて安価で丈夫」な絨毯地のカバンを持つことで、アンの社会的立場や経済状況を象徴しています。
『赤毛のアン』の世界では、こうした細部の描写にもアンの境遇や時代背景が濃密に反映されています。
松本氏の指摘はただの細かい訂正ではなく、作品の理解を深める上で重要な文化的・社会的文脈の提示でもあったのです。
服の色に関する時代背景と文化的意味
アンがピンク色の服を着ている点も、単なるデザインの問題ではありません。
松本氏は「19世紀の西洋では、金髪の女性は青い服、茶色い髪の女性は赤い服を着ると良い、赤毛の女性は赤やピンクを着るとみっともない、といった暗黙のルールがありました」と説明しています。

これは当時の美的感覚や社会的規範を示すものであり、アンが自分の赤毛にコンプレックスを抱いている設定とも深く関連しています。
原作では、アンの赤毛へのコンプレックスが物語の重要な要素となっており、ピンクの服を着られないことは、その具体的な表れのひとつです。
キャラクターデザインの変更とその影響
アニメ「アン・シャーリー」では、ダイアナの目が青く、髪色も緑色に描かれるなど、原作とは大きく異なるキャラクターデザインが採用されています。
これについて、一部のファンからは「アンが赤毛だからって事なのかもしれんがプリキュアじゃねーんだぞ」という批判が上がっています。

SNS上での指摘によれば、「アンの赤毛を除いて髪と目の色は実写では演者の都合で原作と変わっちゃうのもあるけれど、新アニメ版は、ギルバートもダイアナも『ノーそれだけはやっちゃいかん』て色(ギルは赤毛だけは絶対にダメ・ダイアナは緑髪だけは絶対にダメ)を見事に選択してきて逆にすごすぎる」という皮肉めいたコメントもありました。
アニメ制作側の意図と反応
アンサー・スタジオとNHKの制作方針
「アン・シャーリー」は、アンサー・スタジオ制作によるテレビアニメ作品で、2025年4月5日よりNHK Eテレにて放送開始されました。
作品のキャッチコピーは「"想像すること、とめられない。"「赤毛のアン」を知る人も、知らない人も、すべての人たちへ。」となっています。

このコピーからは、原作ファンだけでなく、新しい視聴者層も取り込みたいという意図が読み取れます。
アニメは全24話予定で、「アンとマリラ、マシュウという新しい家族の絆」「アンとダイアナの友情」「アンとギルバートのロマンス」の3つの柱から物語を描く方針です。
シリーズ構成・高橋ナツコ氏の過去作品と評価
「アン・シャーリー」のシリーズ構成を担当しているのは高橋ナツコ氏です。
高橋氏は過去にも「旧ハガレン(鋼の錬金術師)」や「封神演義」など多くの原作をアニメ化する際のシリーズ構成を担当してきました。
SNS上では「赤毛のアンの構成担当してる高橋ナツコは、旧ハガレンに封神演義にと、様々な原作をめっちゃくっちゃにしてファンを怒らせてきた、プロのクラッシャーなので、始まる前から全て終わっているのです」といった厳しい評価も見られます。
一方で、過去の作品ではオリジナリティのある解釈も評価されてきた面もあり、評価は一概には言えません。
公式の反応と今後の対応可能性
本記事執筆時点では、NHK側からは松本侑子氏の「校閲希望」に対して公式な声明は出されていません。
アニメ「アン・シャーリー」のOPテーマは4月9日にリリースされたとたの新曲「予感」が使用されており、放送は予定通り続いているようです。
今後、批判の高まりを受けて何らかの対応や説明が行われる可能性もありますが、現時点では未定です。
アニメの評価は第1話放送直後の反応だけでなく、今後の展開によっても変わってくる可能性があります。
原作リスペクトと創作の自由の間で
翻訳・原作研究と二次創作の関係性
今回の「校閲希望事件」は、翻訳や原作研究と二次創作の関係性という根本的な問題を浮き彫りにしています。
松本侑子氏は、シェイクスピア劇や英詩などの英米文学と聖書からの引用を多数解明した日本初の全文訳・訳註付『赤毛のアン』シリーズの翻訳者として知られています。

彼女の研究は原文の深い理解と文化的背景の解明に基づいています。
一方、アニメ化は原作を新たな媒体で表現する創造的な活動であり、ある程度の解釈や変更は避けられない側面があります。
この両者のバランスをどう取るかは、常に議論の的となる問題です。
過去の『赤毛のアン』アダプテーションとの比較
『赤毛のアン』は日本でも1979年に放送された高畑勲監督による「世界名作劇場」版が高い評価を受けていました。

今回の「アン・シャーリー」は、それ以来となる本格的なアニメ化作品です。
コメント欄では「こんな風になるなら高畑勲版が傑作なので、再放送で良いよいですね」という声も多く、過去の名作との比較が厳しい評価につながっている側面もあります。
アダプテーション(改作)の歴史が長い作品ほど、新たな解釈を打ち出すことの難しさが浮き彫りになっています。
ファンコミュニティの分断と議論
この事件をきっかけに、ファンコミュニティ内でも意見の分断が見られます。
原作への忠実さを重視する「原作ファン」と、新しい解釈を許容する「アニメファン」の間での議論が活発になっています。
「赤毛のアンはもう『高畑勲と比較してやるなよ可哀想だろ』という気持ちと、『高畑勲と比較されるのは最初からわかってたのに何で作ってしまったのか』という気持ちと、『それはそれとして今の子供たちにとっての入口になるといいね』という気持ちが入り乱れてる」というSNS投稿は、多くのファンの複雑な心境を代弁しています。
事件から見えてくる日本のアニメ制作の課題
原作リサーチの重要性と実態
「アン・シャーリー校閲希望事件」は、アニメ制作における原作リサーチの重要性を改めて浮き彫りにしました。
松本侑子氏の指摘は、単なる細部への拘りではなく、作品世界の理解や時代考証の必要性を示すものです。
「制作サイドが不勉強すぎる」
「ピンクの服は着ないはしたないと思われる。そういう世界背景は崩すとその後のエピソードの説得力がなくなる」
「服の色とか原作では出てるのだから時代考証もしながら考える物でしょ」
といったSNS上のコメントに見られるように、作品の舞台設定や時代背景を尊重した制作が求められています。
グローバル展開を見据えた制作の在り方
『赤毛のアン』はカナダの国民的小説であり、世界中で愛されている作品です。
松本侑子氏も「新作アニメに期待しています。世界で通用する名作にするために、ぜひ私に校閲をさせてください」と述べているように、グローバルな視点での作品制作の重要性が指摘されています。
松本氏自身、プリンス・エドワード島を約30回訪れ、『赤毛のアン』の舞台となった場所や文化を深く研究してきました。
国際的に評価される作品制作には、こうした専門家の知見を活かす姿勢も重要かもしれません。
SNS時代の作品批評と制作側の対応
今回の事件は、SNSを通じて専門家の意見が直接発信され、瞬く間に拡散される現代ならではの現象です。
松本侑子氏のような専門家がSNSで直接発言できる環境は、作品への多角的な視点を提供する一方、制作側にとっては対応の難しさもあります。
「原作と違いすぎて炎上」というニュースが即座に広がる中、制作側はどのように対応するべきか。
批判に耳を傾ける姿勢を示しつつ、自らの創作意図も説明していくバランスが求められているのかもしれません。
結論:対話と理解の可能性
「アン・シャーリー校閲希望事件」は単なるアニメ批判を超えて、原作理解、翻訳研究、アダプテーションの在り方など、多くの問題を提起しました。
松本侑子氏の指摘は、『赤毛のアン』という作品への深い愛情と研究に基づくものであり、アニメ制作側もまた、新しい世代への作品紹介という意図があったと思われます。
今後、このような対立を建設的な対話に変えていくためには、原作への敬意と創作の自由のバランスを模索し、双方の立場を理解する姿勢が重要となるでしょう。
原作ファンもアニメファンも、それぞれの形で『赤毛のアン』という不朽の名作を愛しているという共通点があることを忘れてはならないのではないでしょうか。